目の覚めるような
目の覚めるようなピンクのツツジが咲く道を行く。
もちろん、今はもう咲いてはいないのだけれど、その道のくねっとひと曲がりした先に見える、あの強烈なピンクを、私はいつも思い出す。
今日は梅雨のグレーに染まる世界が新緑の緑さえも網戸越しのようにくもらせていた。
残像。
誰かの雨の心にも甦る、そんな文章が書けたなら、と思う。
雨の中でこそ、ひときわ美しいアジサイのような文章でもいい。
ひと時期、季語になるほど存在感を見せるアジサイ。
実は他の季節のアジサイも、私はとても好きだ。
咲いたまま淡く色褪せ枯れていく美しさや、枯れたままの姿で冬を迎えるのも、セミの脱け殻のように、ひとつの記憶を刻む自然のアルバムのしおりだ。
人工的に茎をばっさり切られたアジサイの、まっすぐに広がる茎も好きだ。
春になると、針金のようなその味気ない茎に、小さな鮮やかな葉が芽生え、やがて大きく大きくなっていく。
若いみどりのガクがやがて色づいて、また華やかな季節を迎えるのだ。
今は華の終わり頃。
その季節に終わりを迎えようとしている。
最後のアジサイを確かめに、友達と寺を訪ねる。
帰りつく家路の線路沿いにも溢れるほどのアジサイ。
ありふれているのに、特別な、そんな文章が書けたならいいな。
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